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近世の日本において、庶民レベルでは、妊娠は「穢れ」の現象の一つとして捉えられていた。妊娠、そしてとりわけ分娩の瞬間は、出生の穢れ、死の穢れ、そして血の穢れ、という三つの汚れと強く結びついていたのだ。深く穢れた状態という当時の一般的な妊娠理解を紹介する本論文は、近世日本において普及していた中絶と間引きの慣習を再考察し、これが当時の妊娠理解に内在した一般的な「穢れ」観の現れであることを明らかにする。 「穢れ」という文脈からみた産婆の役割は、媒介者として考えることができる。彼女は新生児を生まれさせる物理的能力を持つと同時に、妊娠と出産にまつわる「穢れ」に直接対処する者でもあったのだ。妊娠は、近世においては「穢れ」という宗教的観点から語られたが、明治に入ってからは「衛生」という医学的見地から語られるようになり、それにつれて産婆の役割もまた大きく変化することになる。本論文が論じるように、宗教から科学へというこのパラダイム変化は、新国家体制樹立における明治政府の方針にとって中心的であった近代化・中央集権化過程の結果であった。 |