本論文がとりあげるのは、18世紀末に江戸や関東一帯に広まった民間宗教の一形態、すなわち富士信仰である。この富士信仰は、徳川時代においては宗教「組織」というよりはむしろ、真に民衆的・民間的な宗教形態として実践された。富士信仰を率先したのはある特定の宗派や寺社といった宗教組織ではなく、関東一円に広まった地元の結社、すなわち「講」であり、または個々の宗教指導者や山伏たちであった。そのため、この富士信仰の豊かな象徴のネットワークを分析することによって我々は、当時の民衆のエピステーメ(思考の枠組み)と、その思考を構成していた多様な諸言説を垣間見る事ができるのである。