江戸時代の民間レベルのナショナリズムについて語ることは、不可能といってよい。その代わり、日本の歴史上初めて広く行き渡った「国家空間意識」が生まれたのは、この時代であった。この「意識」の形成にあたって中心的役割を果たしたのが、人品の「移動」である。海禁と参勤交代という「移動」の制約によって、江戸幕府は「国家空間」を機能的に定義したのだった。すなわち、「その内側で旅をしなければならない場所」でありまた「そこを離れることが出来ない場所」として。さらに18世紀以降の民間における旅行文学の急増および宗教的旅(巡礼)が、この「意識」が人々の間に根を下ろすのを促進したのであった。