この発表の主な目的は、江戸時代の富士信仰を、複雑な諸神のパンテオンを信仰する民衆宗教運動として描くことにある。 富士信仰の中心にいる神(浅間大菩薩)は実際、数多くのアイデンティティと役割とを持っていた。より男性的な姿で現れる場合は山頂で信仰されていたのに対し、より女性的な姿で現れる時には、山麓の洞窟において信仰された。その上富士信仰においては、庚申や弁財天、不動明王や妙見菩薩など多数の異種の神々を信仰する地点がこの山全体に置かれていた。つまり、一つの民衆宗教システムとして富士信仰を深く理解しようとするなら、この山と関連付けられている非常に多様な神々を考慮に入れなければならないのである。