多くの他の民間宗教と同じく、富士信仰の歴史の中でも、多くの聖なる者(ディーティー)が徐々に無数の絶え間なく変化するパンテオンに組み込まれた。このプロセスは数々の研究の対象となっている。本研究では、人気のあった女神弁才天が、江戸後期の富士信仰にどのように組み込まれたのかを調べている。
この研究の結論は、単一のカルトの中で個々の聖なる者の信仰の歴史を追跡することが重要であるということである。しかし同時に、ある宗教の中で聖なる者の唯一のヒエラルキーを探すことは重要なアプローチではないのではないかということを認めるべきである。実際、同じ宗教の中でも異なるコミュニティの信者は、自分たちが抱えている問題に意味のある聖なる者のサブセットをそれぞれ選んで、崇拝している。本論文は、ある民衆宗教を、信仰の単一のシステムとしてではなく、その宗教に関連する聖なる者のサブセットを信仰する信者のコミュニティのモザイクとして見るべきであると主張する。