19世紀に近代国家として誕生したアルゼンチンでは、国民的文化的アイデンティティの構築が必要であり、言語はその形成過程の基本的な要素であった。ルンファルドは、ブエノスアイレスの移民の歴史に根ざした言語レパートリーであり、その過程に直接操作された言語例の1つである。今でこそ、タンゴやポルテーニョの言葉、ひいてはアルゼンチン文化全体の構成要素として有名であるが、アルゼンチンで初めて記録された当時は、ただの犯罪の専門用語として描かれた。本論文では、ルンファルドに関する最も初期の記述を分析し、その解釈の背後にあるイデオロギー的なバイアスを明らかにすることを目的とする。これにより、アルゼンチンの国民的文化的アイデンティティの形成の歴史において、この重要な言語現象が果たした役割について、より多くの光を当てることができるようになることを期待する。