小原國芳は,1919(大正8)年2月11日広島高等師範学校附属小学校で開催された学芸大会における唱歌劇「天の岩戸」に対し「学校劇」と命名し,「学校劇」を提唱した人物である。その後,1921(大正10)年,八大教育主張講演会で「全人教育」の提唱にあたり,芸術教育を高調する為に,「学校劇」を推奨し続けた。 本発表は,「学校劇」に関する小原の主要文献である「学校劇について」(1919),「学校劇論」(1921),『学校劇論』(1923)の精読を通し,小原の学校劇観とその変遷を示す。